一冊の本。ONE BOOK STORE。

考え方が変わった。旅にでた。助かった。私を変えた。それは、たった1冊の本。

極上のコメディです。人に会うことが本当に好きになる、隣の人が愛おしくなる、人とのトラブルを受け入れて許せる愛情いっぱい詰まった「プリズンホテル」

 泣けるのは積み重ねた歳のせいか。心地よく泣ける。泣けるポイントがたくさんある。本というのはそういうものだが、数年経って読んでみるときっと泣ける場所が違うんだろう。

 

 「プリンズンホテル」という名前から想像最初の本を読む前の印象は、戦後の極東国際軍事裁判に関するお話かとずっと思っていた。そんなカテゴリーの小説がどうしてこんなに読者層が厚いんだろうと疑問であったのだ。浅田次郎先生ですしね。しかし、本当はカテゴリー違いもいいとこ、極上のコメディ。軸となる人物はいるけれども、決してその人が主人公ではなくて、それぞれスピンアウトして主人公張れるくらいの人物がひしめいている。その誰もがいろんな方向に飛び抜けている。

 

 軸となるのはある小説家、そしてその父の元で働いていた従業員と駆け落ちをした母、それを手引いた任侠団体の叔父、その叔父が商売の流れで手に入れたホテル。そのホテルで昔から料理を作っている板前、有名ホテルから左遷させられたフロントマン、暴走族のその息子、同じ有名ホテルから左遷させられた腕利きシェフ、ともっともっと多くの登場人物が出てくる。普通であれば、主人公と数人の登場人物くらいしか覚えていないのだが、この物語に出てくる人たちは、名前はもちろん、背格好やどんな顔をしていたかに至るまで勝手に想像して勝手に覚えている。そのくらいキャラクターが立っているのである。

 

 人は色々な役を演じる。父として、母として、息子として娘として、上司として部下として、会社員としてお客として。どの役も結局は人間が演じている以上は、根っこの部分で大事なのは一つなんだと思う。それは愛だ。この作品の多くの場面で、受け入れるということ、そして許すということが繰り返し繰り返し行われる。誰かが幸せになる時、誰かが不幸になることはよくあるが、それでは切ない。受け入れて許す、受け入れて許す。これができればきっとこのプリンズンホテルに出てくるたくさんの人たちと同じように最後は笑っていられるような気がする。とにかく、幸せな気分にしてくれる小説です。

 

根っからの理系人間だけど弁慶ってすごくいい奴だと思うし、巴御前に惚れてまう「君の名残を」

  私は歴史物がとても苦手だ。登場人物が多い上に名前が難しいし、同じような名前だから余計にこんがらがる。日本史の授業が苦手だったのもそういう理由からだ。しかし、歴史物は読みたい、そういう矛盾した気持ちも確かにあるのだ。日本人として、当たり前の知識として知っておきたい。だから、普通の歴史物と違ってミステリーもの、タイムトラベルもので、歴史物のこの本を知った時は嬉しかったのを覚えている。
  そう、私はタイムトラベルものに目がない。今最も好きなのは、ゲームとアニメで展開のシュタインズゲートだ。記憶を過去の自分に飛ばすことで未来を変える前半と、自らが過去に行って起こった事実を変えずに未来を変える事に挑む後半、人間としての苦悩も描きながら壮大かつ身近な世界を描いている。
  張りめぐらせる伏線と見事な回収で楽しませてくれるが、伏線と回収は、過去と未来である。過去に張られた伏線が未来に回収される。この君の名残をは作中で主人公たちが行った過去と残された人たちの現在の描写がなされてはいるが、この作中の過去に対する現在とは、我々が知っている日本史そのものとして考えられる。誰にも共通している現在、ウィキペディアでも確認できる現在。だから、作中では無理に文字での回収はしてないように思う。日本史をほとんど知らない理系人間の私にとって、作中の出来事がウィキペディアで確認できる日本史としてリアルに刻まれているのは感動を通り越して興奮である。
  巴御前と弁慶、そして北条義時をスポットに当てて平家物語ベースのストーリーが紡がれていく。歴史物嫌いの私に平家物語を好きにさせてくれた一冊。私のような人に、是非読んでいただきたい作品だ。

 

君の名残を (上) (宝島社文庫 (487))

君の名残を (上) (宝島社文庫 (487))

 

 

 

君の名残を (下) (宝島社文庫 (488))

君の名残を (下) (宝島社文庫 (488))

 

 

 

「禅学入門」でソモサン・セッパ!もう少しで悟れるか、目からウロコの禅入門書

私は梅雨明け前のこの季節が好きだ。

シトシトと雨がふって、ジトジトした湿気にまとわりつかれたと思ったら、今度は、ジリジリと太陽が攻めてくる。

庭はいつの間にか背の高い緑でいっぱいになっている。この時期の自然は、夏休みにやってくる孫とか、親戚の子供みたいだ。一方で泣きわめき、一方で遊べ遊べときかない。いつの間にか大きく成長していることに、ふと気づく。とにかく、賑やかだ。

 

 この時期に庭にでると、自然の営みに翻弄される人間ではなく、自然の一部としての人間を感じることができる。そういう雰囲気をより感じ味わいたいときに禅について知っているとよいと思う。鈴木大拙は海外に日本の禅文化を広めた人として知られている。金沢にある鈴木大拙館は、鈴木大拙本人を知るとともに、禅について学び行動する場所として一度は訪れてほしい場所である。

www.kanazawa-museum.jp

 

 鈴木大拙が英語で著した禅に関する入門書がある。An Introduction to Zen Buddhism(禅学入門)。その後、Die Grosse Befreiung(大解脱)というタイトルでドイツ語に訳された。そして、一冊の本ではなかったが「禅の真髄」というタイトルで邦訳したのち、「禅学入門」という邦題で世に出た。日本の禅学者が禅を全く知らない海外の人へ説明するために著した書籍の、著者本人による邦訳である。日本人が日本人向けに説明すると、日本人の根底にある禅的なものについては自明のために触れずにいるものを、海外向けとなるとそうはいかない。そこから説明しないといけないの?というところからの説明と なる。わかりやすいに決まっている。200頁という非常にコンパクトにまとまった入門書。本棚に一冊、特に「悟り-新見地の獲得-」と「公案」は何度も読 み直したい。また庭にでるのが楽しみだ。

禅学入門

禅学入門

 

「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」読むと絶対に牡蠣にウィスキーを垂らして食べたくなる

 本をきっかけにして新しい趣味をみつけられたら、とても嬉しいことだと思います。村上春樹さんの「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」は私にウィスキー、というよりアイラウイスキーの世界を切り開いてくれた本でした。

 私自身はそれまでウイスキー含めてお酒全般に興味がありませんでした。ワインとかウイスキーなんて、アルコールが強いお酒、としか感じてしませんでしたし、そういうつまり酔っ払う用途でしか飲んだことがなかったので、あまりいい印象を持っていなかったんです。ですが、年齢を重ねてバーにも行くようになり、一人の時間を楽しみたい時もあったりして、そんな時にに行った時に、少し詳しく知っていた楽しいんだろうなぁと思っていたわけです。だからといって、お酒の詳しい人に聞いて入り込むというようなルートではないと思うし、ものは試しでバーに通うというほど前のめりでもありませんでした。興味度合いというのがあったとして、100の内90くらいあったら行動に起こしているだろうけど、20くらいの興味度合いのものって結構あると思うんですよね。無理やり誘われたらやってみようかな、とかお金に余裕ができたらやってみようとかそういうレベルの興味。だけど、こういう度合いの低い興味って長続きしないから、頭の中に生まれては消え生まれては消えていく。私にとってのウイスキーはそういうレベルの興味。そういうレベルがバーに行くのが楽しみになっちゃうレベルになるには、もう事故レベルのアクシデントが必要です。

 私にとっての事故。それがこの本との出会いでした。たまたま本屋さんで本棚を眺めてるときにウイスキーって言葉が目に飛び込んできたんです。というより、ひらがなとカタカナの組み合わせって他でも一度話題にしましたが、結構記憶に残るんですよね。

mtribe.hatenablog.jp

 

 それで、その本を書いている人をみたら村上春樹さんじゃないですか。作家さんが書くウイスキーの本?厚さも薄いので「ついで」に買ってみました。

アイラの人の声が聞こえる。海の音が聞こえる。アイラウイスキーを飲みたくなる。絶対に飲みたくなる。牡蠣にウイスキーを垂らして、食べたくなる。そいういう本です。

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

 

「此処で筆を擱」いた志賀直哉っていい人。作者に救われた仙吉の神ストーリー「小僧の神様」

 本との出会い方には色々有りますよね。この人素敵だな、と思っている人が好きだと言っている本、というのも出会うきっかけです。その人がそういう考え方になるにあたって、少なからず影響を与えたと思うからです。

 私は小山薫堂さんが好きです。どんな人か知らない方もいらっしゃるとおもいますけど、もしかしたらおぼろげながらワクワクする事を生み出す人だというレベルで知っている方も多いかと思うんです。でも実はそこなんです。あの人面白そう、が私にとってはとても大事で、そういう人物が出来上がるまで影響を受けた事に触れてみたい。そういう思いから、小山薫堂さんが好きな本として挙げていた志賀直哉の「小僧の神様」を読んでみました。こういうきっかけは大切にしたいと思います。

 「小僧の神様」他沢山の作品を読ませていただきましたが、細やかく内容に触れることはやめておきますが、一点だけ。志賀直哉の作品って、一個人の内面をどんどん掘り下げる作品が多いと思うんです。読み手も心を揺さぶられます。だから一つ一つの作品は短いけれど、読みても全力投球で読まないといけない。息切れしてしまうんですね。でも、その疲れてしまうっていうのは、心のどこかで自分の内面と比較させているからつかれるんだと考えまして、描かれている心情はそのまま、あぁこういう人もいるんだなぁ、と「受け入れる」ことにしましたら、あら不思議、自分の心でさえも赤裸々に受け入れることができる、その感覚がわかるようになりました。「小僧の神様」は「此処で筆を擱く事にする。」という文が有名です。(有名なのかな。)それすらも作者の心情の現れで、滋賀直哉作品は心の標本的な感じ、と思いました。

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

 

見た目かっこよくないし人付き合いも得意じゃないけど行動力あってブレなくて結局リア充の西嶋がかっこいい「砂漠」

 私は作品をカテゴリー分けは特にしないようしています。というか出来ないんです。ブクログで読んだ本や積読の管理をしているんですが、ハウツー物とか推理物とかカテゴリー分けしやすいものは良いとして、そうでないものが割と多い。カテゴリー分けというより、ミステリー物だし、タイムトラベル物だし、純愛物で、それでいて警察物みたいにタグ付けの方がいいような気がします。読んだその時の心境によって受ける印象も違いますしね。

 あと、植え付けられてしまった作家カテゴリというのもややこしいです。ミステリー作家、という呼び方も大方周りの人が作っているものですよね。最初にとった賞のカテゴリなんかでも区別されますね。ご本人が「どもミステリー作家の◯◯です」とも言わないのではないでしょうかね。百田尚樹さんの場合は出身が放送作家ですから、読み手は偏見もなく読めますけど、綾辻行人さんの作品だと読み手は明らかに「今から推理小説を読みます」というマインドセットしてしまうので、推理トリックの部分に意識がいってしまって、実は登場人物がいいこと言ってたりするのを見逃したりしてしまうんですよね。伊坂幸太郎さんの作品も登場人物とその言葉が際立ちます。この作品もそう。

 登場する「西嶋」がとにかくかっこいい。最も好きなのはこの台詞です。

あのね、目の前の人間を救えない人が、もっとでかいことで助けられるわけないじゃないですか。歴史なんて糞食らえですよ。目の前の危機を救えばいいじゃないですか。今、目の前で泣いてる人を救えない人間がね、明日、世界を救えるわけがないんですよ。

かっこいいんです。私はこの一言で、世の中のためになる事を語る人間よりも、目の前の課題を黙々とこなす人間になりたい、そう思えました。宮本輝さんは「避暑地の猫 (講談社文庫)」で、人間というのはたったひとことで変わるおぼつかない生き物だと言ってます。本当に一つの言葉が読者を変えます。その一言に会いたくて、今日も頁をめくるんですよね。

 もう一つ、「砂漠」の最後の方で校長先生が「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢である」とサン=テグジュペリが「人間の土地 (新潮文庫)」で言っている言葉を引用しています。そして、このあと私は「人間の土地」を読むことになります。こうやって作品から作品へと、もしくは作品から新たな趣味等につながっていくのも読書の魅力ですね。

 とにかく頭使わずにコメディでアクションムービー見たいという気持ちの時に読んでください!

砂漠 (新潮文庫)

砂漠 (新潮文庫)

 

どの年代の人にもプレゼントしたい「アルケミスト」

 自己啓発ものがどうも苦手な人って、結構いますよね。私もその一人です。一昔前は、読み漁りましたけど、今なんか意識高い系の人とかそういう話って疲れてしまうんです。そんな時期ってありますよ。それに、年齢も重ねてきますと、自分の考え方ってだいぶ固まってきてしまいますから、そこを無理やりマッサージしたりするとヘタすると肉離れを起こしてしまいます

 そういう人には教訓ものはストーリーからソフトに伝わってくるのがいいです。特にファンタジーなんて最高です。このアルケミストはそういう本だと私は思います。もう5回くらいは読みなおしたと思います。読みなおしたというよりも、ちょっとした時に頁をめくれる本だと思いますし、読み物という本来の役割を超えて、もうアクセサリー的な存在です。主人公が冒険をしていく合間に訪れる様々な場面での出来事が教訓につながるわけなんですけど、毎回読むたびに惹かれる箇所が違うのですよ。だから何回読んでも面白いわけなんです。

 

アルケミストからの寄り道

 この本があまりにも良かったので、「この手の本」を検索して読んでみたのは、ジェームズ・レッドフィールドの「聖なる予言 (角川文庫―角川文庫ソフィア)」。この本のお話はまた別の機会に。

 Wikipedia情報によると1988年に発行されてから全世界で1億部以上も発行されている作品です。といっても、その他のオーバー1億の書籍を読んだことのある人、私の周りにはあまりいないんですよね。

アルケミストが1億部以上も発行されているのに意外と映画化ができていないようです。映画化のお話が昔からちらほらでていましたが、やっと今年に撮影が開始されるとのニュースもありました。今年さらに注目される作品になりそうです。

eiga.com

 これは映像化ではないんですが、2012年にACIDMANパウロ・コエーリョアルケミストをモチーフに「アルケミスト」という楽曲を発表しています。PVも舞台の北アフリカ・モロッコで撮影をされていますのでイメージを膨らましてみるのもいいですね。


ACIDMAN - アルケミスト

 

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)